ブラキストン線をジープで超えて西比利亜へ

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ハセガワ1/72 MIG25製作①

今日15日は東京の神田で面接がありました。

思えば僕が受験のために北海道から出てきて、初めて降り立ったのは神田。
夜、右も左もわからないのにフラフラとゲーセンに入ったら、
モータルコンバット』のアーケードがありまして(笑)。
カノウに瞬殺されて心臓を引き抜かれたのはいい思い出です。

あれはもう23年前のことですが、当時あやっぺは7歳、すみぺは2歳。
すみぺが生まれたときにはまだタミヤのT72は発売されておらず、
中学生のあやっぺが林原さんにラジオで進路相談してたのは10数年前。

その間僕はずっと東京にいた訳ですが、
7歳と2歳の幼女が立派な芸人‥じゃなかった声優に育つ間、
俺は一体今まで何をしていたのだろーかと(笑)。

気慣れない黒スーツ姿で、履歴書に書かれた20年分の職歴の退職理由を答えながら、
ミコヤンはぼんやり考えました。

‥そんないい加減な面接ではありましたが、無事、ミコヤンは内定をもらいました。
初出勤日は12月の頭ではなく12月11日。
また10日ほど休日増えたので、紙芝居か模型に使おうと思います。
これから当分は出来なくなるでしょうからねえ‥。


しかし久しぶりに神田に来てみると、いくつか無くなった店があります。
実は『地球堂』という模型屋さんが古本屋街にありまして。
狭い店内にはカルトな海外プラモがぎっしり。その桃源郷ぶりに興奮したものでした。
これから神田に来たらちょくちょく買いに来ようと思い、はや数年‥
先日、閉店していたということをネットで知りました。

今回、ミグ25のアクセサリーに使おうと思っているロシアのタンクローリーは、
その時なけなしの銭で買ったもののひとつだったりします。

ああ、あの時もっと買っておけば‥!
ミコヤンのバカ!ゴミクズ!

皆さんも、模型屋を大事にしましょう‥。!




さて、今回作ろうと思っている『ハセガワ 1/72 MIG25』ですが、
実は近所の、とある潰れそうな模型屋で買ったものでした。

千葉県市川にある、その名も『ジェット模型』!





一部の人には有名らしいですけどね。
しかしミニ四駆に力を入れていたらしいけどなんで「ジェット」なんだろ‥

今年の4月ぐらいの土曜日、行徳のバーガーキングに行った帰り、
久しぶりに寄ってみたら店が開いていたのです!
前に通りかかったときはシャッターが閉まっていたので、
閉店したと思っていたのです。

‥まあでもいざ入ってみても、個人経営の模型店あるあるのひとつ

「なんか買ってあげたいけど、これといって欲しいのは無い」

なんですよ(笑‥安いわけでもないしね)。

そこで1/60量産型ザクとどっちにしようか迷って買ったのがこのミグ25でした。
東側兵器だけどあんま詳しくないし、興味はあったけど古いキットですからねえ‥。

まあ今回、自分の境遇とベレンコ中尉が重なったような気がしたので、
製作に至ったという訳です。


しかしさすがに古いキットです。

モールドが凸モールド!
バリも酷い!














‥まあ仕方がないのかも。

なにせこのキット、設計されたのは1976年‥僕と同じ41歳。
かの有名なベレンコ中尉亡命事件』が起きたのがこの年の9月6日でした。
1月に生まれた生後8か月の僕は、母親の腕に抱かれてTVを観ていたのでしょうか‥。

しかしこのキット、開発の速度が早い!まるでマッハ3!
モデグラのvol.334の特集記事によると、社長から
ベレンコ中尉の飛行機を作れ!」と檄が飛んだのが事件から1週間後。
資料をかき集め、設計図を描きはじめたのが10月4日‥完成が10月9日(笑)。
パーツの配置図を描いたのが翌日の一日。
その翌日に金型屋さんに発注し、
通常6カ月のところ急いでもらい3カ月後の12月28日に完成。
すげえ‥切羽詰まったワンフェスのディーラーかよ(笑)。
29日から 生産を開始し、年末も量産を続けて77年1月末に初回出荷となりました。

ちなみに、当時の他の航空機や戦車プラモの初回出荷が5万個の当時、
このミグ25の受注個数は40万個!
24時間生産を続けて一か月で生産数10万個の当時、4カ月間フル生産だったそうです。
このキットは雑誌にも紹介され、話題にもなりました。


しかし箱を開けて驚いたのはキットの古さもそうですが、その大きさ!
説明書の比較図を見て下さい。
ミグ19の倍ぐらいありますよ!爆撃機か!







エアインテークなんてタカトクバルキリーぐらいありますよ!

そしてモールドは少なく、あっても凸モールドだという‥
しかしこれぐらいでかくないと高度37650mの超航空を飛び、
マッハ3を出すことはできないのでしょう。

ちなみに当時、SR71偵察機を撃墜できる高度に上がれたのはMIG25だけ。
そのため、アメリカがSR71を配備している基地のそばにMIG25は配備され、
ベレンコ中尉がいたチュグエフカ基地がMIG25を配備していたのは、
嘉手納基地に配備されているSR71を警戒したためでした。




‥まあいつまでびびっていてもいられません。
とてもすべてのモールドを彫り直す気力も時間もないので、
ここは割切ってこのまま作ることにします‥スパムを食べながら。


そうと決まったらパーツを切り出していきましょう。
しかし飛行機プラモの場合、先にコクピットを塗装する必要があります。





プラ版で作ったようなシート(笑)。

ちなみに資料が無かったため、ここらへんの設計は完全に憶測だそうで。
ちなみに僕も、手元にシートの資料はありません‥。



いくらなんでもこれは‥と思い、
Amazonで「紙創り」のシートベルトを購入。

西側航空機に対応しているようですが、まあ資料もないし雰囲気重視で。



‥まあこんなもんでしょ。

狭いキャノピーからちゃんと見えるかどうか疑問ですが、
それでも無いよりはマシじゃないかな?

まあどうせあんまり見えないだろうと思い、コクピットを筆で塗りたくります。
ちなみに説明書の指示はニュートラルグレーでしたが、
ロシア機と言えば青緑のイメージなので青緑で。
資料の写真でもそんな色でした。

しかしなんでこんな色なんでしょうね‥計器の黒が見やすいとか?





あと機首にオモリを詰めます。

今回は大型機と言うことで、前に買っておいた釣り用のオモリの
でかいヤツを気前よく機首に押し込み、両面テープで固定します。
(パテとかめんどいから)







胴体左右を貼り合わせ、機首を取り付け、パテで隙間や段差を埋めます。
しかしでかい‥1/48かと思うほどです。






このキット、やはりと言うか、パーツの合いも厳しいものがあります。
最初はスルーかなと思ったのですが、さすがの僕にも見過ごせず、
結果、パテを盛って接合面を盛大に削ることにしました。

ちなみに生乾きの状態でしたが構わず削りました(笑)。





削った結果、案の定凸モールドも消えてしまいました。
仕方ない、想定外だけど彫り直すか‥。
結果的に凹みモールドになるかな?





というわけで以上、ハセガワのミグ25の第一回でした。
時間もないのでミグ25のキットの設計同様、急いで完成させたいと思います。
滑走路のベースを作り、先ほど話題に出したICMのタンクローリーを配置します。
そして動画を作り、あとはアーニャに可愛く罵ってもらうだけ!

ですが、まず11月23日の美希の誕生日に凸ダグを上げるのが優先かな?
仲間になった(?)ミキ少尉はこれからどうなるのでしょうか?
それではお楽しみに!