ブラキストン線をジープで超えて西比利亜へ

旧ブログ『ツングースカ大爆発』から引っ越しました。


※ガンプラやニコニコ動画などオタクネタは、
もうひとつのブログ 『アンスリノの宙域で鈍く輝く』の方へ!

放蕩息子の帰省(下)

※今回かなり長いです(無駄に)


去年、
『アーニャと模型と東側兵器』(長い)でMiG-25をやりました。


ベレンコ中尉亡命事件」は1976年の9月‥僕が生後8ヵ月の頃です。
だから帰省の際、ママに訊いてみたんです。

「奥さん、当時のことを何か覚えていませんか?」(刑事ドラマ風に)

そしたらあのババア、「さあどうだったかねえwえへへ‥」とか言って笑いよる!

えへへじゃねえよ!
あやっぺか!(←声豚脳)

日本最北端の海上自衛隊基地・余市の防備隊から魚雷艇が出たんだろうがよ!
子供のころから余市には基地があるから真っ先に狙われる」とか
ネガキャンしてくさってからに‥!


‥すみません、部屋のMiG-25見てたら急に思い出しちゃって。
現在、前に作って放置していたT72の塗装を落としている作業中なのです。






実は近々、このT72で『アーニャ~』を一本作ろうかと思いまして。

なぜT72かというと、完成しているからあとはネタ作るだけと思っていたんですが、
やっぱりどうも前に塗った色が気に入らないのです。

元はといえば、戦車の単色塗装が苦手だから変にヒネって失敗したのではと。
それならばここは模型雑誌に載っている初心者向けの塗装法で、
正面から正攻法で戦車模型を仕上げれば、なんとなく作ってお茶を濁すより、
T72も喜ぶだろうと。アーニャも僕を見直すだろうと!  
そう思って近々、動画を上げる予定です。

これには理由がもうひとつありまして。
僕が復帰してからうpした動画、みんな画質悪いですよね?
どうもニコニコのアレがなんかアレみたいで。(注:うまく説明できない(笑))
凸ダグを本格的に再開する前に、まずパイロット版として練習しとこうかなと。


それでは前回の続き。今回で終わらせます!
さて、リタ幼稚園が竹鶴さんの奥さんの名前であることを知った後、
僕はかつて実家があった浜中町に向かいます。

浜中町」と言えば、『ルパン三世』の峰不二子の出身地。
そして原作者モンキー・パンチ氏の出身地でもありますが‥余市と関係ありません!
あの人たちの出身地の「浜中町」は釧路の方にあるんです。

ですが、この「浜中町」という呼び名、どうやら漁業関係の用語らしいです。
今年のGWの帰省の際、余市水産博物館に立ち寄ったのですが、
そこに大正時代ごろのニシン漁を再現したパノラマ展示がありました。



なんとそこに「浜中」の文字が!

他にも見慣れた余市の地名がちらほら!
‥まあ素人の憶測ですが、あながち間違いではないと思います。
この水産博物館、なんだか町民から忘れ去られている印象ですが、
子供のころから目につまっていたウロコがざらざら落ちる発見がありました。
                   きゅうしもよいちうんじょうや
例えば長年、バスの中で聞かされていた「旧下余市運上屋‥」のアナウンス。
「運上屋」はニシン漁の有名な歴史建築なんですが、問題は「旧下余市」。
「旧」とは?
「下」‥?じゃ上はどこ?
これ、実は昔、余市川余市は「上余市」「下余市」に二分されていたのです!
しかもこの二つの余市を結ぶルートは当時、渡し舟しかありませんでした。
二つの余市が統合されたのは大川橋が出来てからで‥

‥って、余市に興味のない人にはイミフでしょうが(笑)、これが面白い!
僕はミリオタのせいか、「地理」や「歴史」ってテーマが大好きなのです。
(でも授業の科目は中の下‥)

ちなみに幕末の白虎隊の生き残りが、余市でリンゴを作り始めたって知ってます?
彼らは故郷を捨て、遠い異国で刀の代わりにクワを振るって生涯を終えました。
彼らは「朝敵」だから、亡くなっても葬式を出せませんでした。
孝明天皇からは忠臣と認められ、緋の衣を賜っていたのに‥
そんな彼らが作ったリンゴの名前は「緋衣(ひのころも)」
最近になってそれが知られ、福島県で栽培が始まったとか。

‥まあそこらへんの話も面白おかしく、いつかやりたいと思います。
(力量があれば歴史小説にしたいんですが(笑))
このブログは僕の日記アルバム、旅行記でもありますので‥


さてそんな大昔の国境・余市川を渡り、浜中町に向かいます。
通称「切り通し」と呼ばれていた場所を通ります。



これは先ほどの水産博物館に展示されていた昔の写真。
「切り通し」とは、崖を切り通して道でも作った名残でしょうか。

ですが、地形や景色はほとんど今もこのままです。
馬車が通っている場所が舗装され、車道になり、左側が歩道になっただけ。

そして僕が小学生の頃までは、歩道のあたりは草木が生い茂り、
崖があって廃屋やらガラクタが捨てられていて不気味でした。
確かボロッボロのプラモの箱が捨ててあって 、幼稚園ぐらいの頃、
それを拾おうと崖を降りようとして怖くて断念したような‥(賢明でした)。

今では草木は刈られ、ガラクタは埋め立てられ、見る影もありません。
安全ではありますが、さみしさを感じます。
僕が死んでしまえば、誰もそれを語る者はいなくなるのです。

途中、建築技師らしい人の「いかにも建築家な家」があるのですが、
子供のころから「この人、食べていけてるのかなあ」と思ってましたが
やっぱりまだあるんです(笑)。
そうとうなじーさんだろうなあ‥
ちなみにそこの家の前に昔、ビーボの自販機がありました。



この画像は拾い物ですが、昔あった自販機なんかも、今の子は知りません。
たまに道でプルトップを見つけて嬉しくなりますが、それも謎の物体なのでしょう。
ちなみに最近、寮の近くにコスモスの自販機見つけて嬉しくなりました(笑)。




で、そんなこんなで海の近くの旧実家に到着です。
「旧」と言うのは、実家は売り渡しただけでまだ現存しているからです。
実家がどうなったのか、親に聞いても「ああ‥どうだろうかねえ?」と、
筋少の『ペテン師、新月の夜に死す』の内田さんみたいな事を言うので(笑)、
長男の僕が直々にのぞきに出向いたわけです。

結論‥誰か住んでました(笑)。
しかし、僕が18年過ごした家が赤の他人のものになっているとは‥不思議な感覚です。

そしてさらに海沿いに数キロ歩き、前回話した廃墟化しつつあるシャッター街を抜け、
港を見下ろす山の中腹にある余市神社に到着です。



その前に、時間は昼頃。
小腹が空いたのでチョコバナナを食べることにします(笑)。
しかしなんで正月からチョコバナナ‥




で、余市神社で初詣。
元旦とあってさすがに人が多いです。
子供連れた知り合いに遭ったら‥とビクビクしましたが難を逃れました。

甘酒を飲み、賽銭入れてパンパン手を叩き、お守りと破魔矢を買いました。
破魔矢の白い犬が、僕には冷たい実家のアイヌ犬・マリちゃんそっくりでした。

‥さてこの後は画像もないので文章のみで端折っていきます。
この後は家に帰るだけでしたが、弟の家をのぞいてみることにしました。

弟の家は、旧実家の近くで海沿いの、亡くなった父方の祖父母の家。
近くまで行ってみましたが、面識のない嫁さんと顔合わせたら気まずいなと、
そーっとのぞいてみたら見慣れない女性と目が合いました(笑)。
僕の服装はカーキグリーンのワークキャップにカーキグリーンの軍用コート。
弟ならいざ知らず、そんな格好して人の家のぞいたら通報ですよ!
足早に立ち去りましたが、弟の家から一台の車が出てきました。

弟家族とは夜に実家で夕食の予定だったので、先に顔合わせるの気まずい‥
出勤するのだろ、と思ったその車、まっすぐ僕の方に来るではありませんか!

「チラチラ見てただろ!」

‥なんて言われませんでしたが(笑)、運転していたのは弟。
僕が言い訳みたいなことを言おうと口ごもっていると、弟は何も聞かず笑って、

「実家まで乗せてくよ。でも時間があるからどっか行こうか」

と言ってくれるではありませんか。
これ幸いと、小樽までテキトーにドライブしてくれと伝えました。
弟は「じゃリサイクルショップにでも行こう」と快諾。

弟はフィンランド関連のグッズを扱う古着屋‥雑貨屋?みたいな商売をしているので、
それ関連で古着屋にでも行くのだろうとその時は思いました。

余市はまさに海と山両方に恵まれた土地です。
余市神社や弟の家が沿岸側とすれば、実家は内陸の山にあります。
そして、小樽や札幌などの道央に向かう場合、
当然ながら山の方へ向かうことになるわけです。

海側にも道はありますが、混むからか、地元民は山の方を通るようです。
小樽に向かうため一度、実家のそばを通ることになるわけです。



これ、実家の近くの道なんですが、『モンガク線』とあります。
こういう聞きなれない、カタカナの地名が多いのが北海道の特徴。
まず間違いなく、こういう地名はアイヌ語が語源です。
余市」にしてからが語源がアイヌ語のイオチ(蛇のいるところの意)らしいです。

そしてこのあたりの小樽まで連なる山々で、ストーンサークルなどの遺跡が
よく見つかるんだそうで。(道路を作るときに見つかるんだそうで)
有名なのは忍路のストーンサークル余市のフゴッペ洞窟など。
もしかしたら実家のそばにも見つかっていない遺跡があるのかも。いやマジで。

ミコヤンはこの頃、縄文時代岡本太郎がマイブームでして(笑)。
GWに帰省した際にも小樽洞窟の壁画を見に行ったのですが、
これと余市のフゴッペは非常によく似ていて、しかもシベリアの遺跡と似ているそうで。

一般に、縄文時代縄文人(狩猟民)は南から稲作文化の弥生人(農耕民)に追われ、
日本本土に残った者は「サンカ」、北海道に逃げ延びた者はアイヌになった、
というのが定説らしいですが、それとは別に大陸からも文化の交流があったそうで。

何を言いたいのかというと、僕がアーニャやロシアにに惹かれるのもそこに理由が‥
‥なんでそんなイヤそうな顔するのアーニャ‥。


「今の子供たちはゲームばかりで想像力が無いんだよね」
「子供なんて、ノート一冊あればいくらでも遊び方見つけるだろうになあ」
「あー、うちの嫁さんも同じこと言ってたわ」
「俺らが子供の頃はプラモで遊ぶにしても色々改造とかしたよなー」
「あー、懐かしいわー」(注:弟はほぼ脱オタ
「知ってる?今はジムコマンドがMGになる時代なんだぜ?」
ジムコマンドがレアかどうかも覚えてないわww」

‥みたいなとりとめのない話をしながら、弟の車は余市~小樽間の、
まだ見ぬ遺跡が眠っているかもしれない山々を抜け、小樽市街に出ました。

「あれだよ、リサイクルショップ」

そう言って弟が指さしたのはハードオフ(笑)!
チェーン店かよ‥!とか思ったのですが、入ってみるとなかなかの品ぞろえ。
僕はハードオフをほとんど知らなかったのですが、プラモとかもあるんですよね。
弟に連れられて案内されたのは、そんなプラモの一角でした。
弟なりに、「こんなん好きやろ?」と気を使ってくれたのでしょう。

何より僕の気を引いたのが、ボトムズ(ウド編)のシミュレーションゲーム(笑)。
当時、ツクダとかから出てたじゃないですか、箱に入ったヤツ!
高校の修学旅行の時、京都でボトムズの『バトリング』見つけて即購入しましたわ!
今回も死ぬほど悩みましたが、「まあ今更買ってもなあ‥」と思い直し断念。

でも動画でやってみたいなあ‥キリコをアーニャで。
ボロ―‥クラリス、イスクイ署長‥早苗さんでどうですかね(笑)?
フィアナはあやっぺ‥じゃなくて美波ちゃんかなあ‥
蘭子ちゃんはライバルだからイプシロンにとっておきたいなあ‥

さて、弟が僕をハードオフに連れてきた理由は、どうやら服を見せたかったようです。
手慣れた手つきで「これなんかどう?」「これなんかいい色」と、
まさに店員そのままに僕に次々服を手渡してきます。
普段服装には無頓着な僕ですが、なんだか買わなきゃ悪い気になり、
手ごろなシャツを2枚ほど買うことにしました。
レジに並ぼうとすると、ブーツがいくつか置いてあるのに気が付きました。
僕はごつい皮ブーツが好きなので、弟にそんな話をすると、
レッドウイングのブーツを見つけてきました。
サイズも大きく、ワイルドな皮ブーツなのですが値段が5000円‥
迷っていると、僕は1月3日が誕生日なので、
「じゃあ兄ちゃんの誕生日プレゼントにしてやるよ」と弟。
有難くプレゼントにしてもらいました‥荷物増えたけど(笑)。


ホクホク顔で実家に送ってもらい、弟といったん分かれます。
そして再び、嫁さんと姪っ子と甥っ子を連れてやってきました。
僕が嫁さんにまず先ほどの非礼を詫び、誤解を解きました‥
まあ、なんとも思ってなかったようでしたが。

嫁さんは良い人で(ちょっと金田朋子似かな(笑))明るく、真面目な人。
色々苦労をされた方で、過労や人間関係で鬱になりかけ、そんな時弟に救われた、と
嬉しそうに僕に話してくれるのです。さらに母親が倒れ、札幌の病院では医者に
匙を投げられたのに、余市の僕のパパが作った老人ホームに入所すると回復し、
(医者曰く「有り得ない」)そういった意外な縁もあってすっかり我が家になじみ、
ハッキリ言って僕より家族らしいです(笑)。

何より、偏屈なうちのパパを「上手にコントロール」(ママ曰く)するという‥。
僕やママが匙を投げた、惑星モナドのようなうちのパパをですよ?!
でも「ママにそんな言い方はないんじゃない?」と言うことははっきり言うという。
パパは嫁さんには逆らえないそうで、どうやらうちのパパは、ママと嫁さんが
共謀してうま~く転がしているようです。

うちのママもかつて老人ホームで過労で倒れそうになり、嫁さんも鬱になりかけ、
僕も過労死を覚悟したということで、3人には妙な連帯感が生まれたようです(笑)。
「仕事で死ぬなんてバカらしいよ」と言い合いました。

もっともパパにしてみれば、それに耐えて老人ホームを作り上げた訳ですが、
嫁さんとママが言うには「世の中の人間すべてがパパみたいな人じゃない」
僕も同意見ではあるのですが‥難しいところです。

ちなみに嫁さんも僕と同じく今の馬鹿馬鹿しいTV番組が大嫌いみたいです。
正月番組のバカらしいコーナーに文句を言っていて、
車の中で弟から聞かされた通りの人のようで安心しました。




さて翌日‥僕が帰る日です。
飛行機は夜‥というか最終便なので、夜まで時間があります。
とりあえずゴロゴロとタミヤ1/48のドイツ軍トラックなんか組んでみたり‥。

ちなみにこれが僕にあてがわれた二階の部屋。
外観通り、「木の家」って感じですよね!







そして部屋から出ると謎の砕氷船のソリッドモデルが(笑)。
うちの父方のじいちゃんには「函館のおじさん」「消防のおじさん」なる
兄弟が居たそうで。その二人のどちらかの所有だったらしいです。

この3人、今では全員鬼籍に入られておりますが、かつて樺太で暮らしていました。
じいちゃんの一家は樺太で船を貸す仕事をしており、ソビエト軍が迫ってきたとき、
自分たちの船で、いち早く帰ってくることが出来ました。
帰る足のない人たちは皆、抑留されてしまったとか‥
ですが、じいちゃんたち船に乗れた人たちも、道中船が機雷に触れて沈んだりと、
全員が無事に帰って来れた訳ではないようです。
じいちゃん自身も自分から樺太時代の話をすることはありませんでした。
当時の樺太での生活は戦時中にもかかわらずとても快適だったらしいですが、
色々思い出したくもないことがあったのかもしれません。

ちなみに僕が樺太の話をすると、パパが書類の入った封筒を持ってきました。
それは樺太の生き残りの人たちの団体が生前のじいちゃんに宛てたもので、
中には巨大な樺太の地図‥当時を再現したもの?が入っていました。

それを見てビックリ。
僕は樺太なんて集落が点々としているのかなと思っていたんですが、
今の日本本土の地図を一部切り取ったように、精密に交通網と居住地、
主な建物の所在がビッッッッ‥シリと書き込まれているのです!
当時はもう、当たり前に日本の一部だったんだなあと思い知らされました。
しかも地名が聞いたこともないものばかり!
当たり前ですが、知らない日本の地名が巨大な地図一面に書き込まれているのです。
まるでパラレル世界の日本のよう‥まあある意味そうかもしれませんが。

早速このブログに画像を載せようと思ったのですが、
そういうミーハーな行動はどうかと‥(笑)。パパが納得するとも思えません。
今でも図書館とかで樺太の地図なんて見られるのかなあ‥。
まるで当時生活していた人でなければ見てはいけないような雰囲気の地図でしたね。

ちなみにすみぺのラジオ『文化部は夜歩く』によれば、サハリンと日本が行き来が
出来るようになるかもしれないんだそうで。

 

こういった情報をすみぺ絡みで知ることになるとは‥
そういえばすみぺはすでにサハリンにイベントで行っています。
まあ治安的な不安はありますが、一度僕もサハリンに行ってみたい!

「二番目の願いは俺をサハリンに移動させろ!!」

なんか、ピッコロがナメック星に行きたがった時のことを思い出します(笑)。
まあこないだグーグルアースで見たらただの田舎でしたが‥。





そしてそのソリッドモデルの下で仲良くお昼寝中なのが二匹の猫、
ヤコブレフ(※仮名)とラボーチキン(※仮名)。

オス同士なのに「できてるんじゃあないか?!」ってほど仲が良いです。
普通、猫のオス同士がこうやってくっついて寝ることは珍しいそうで‥。




ラボーチキン(仮名)はとても猜疑心が強く、
僕はおろか弟やママも近寄ることも許しませんが、
相方のヤコブレフ(仮名)はとっても人懐っこく、
ニャアーと鳴いて、猫に好かれたことのない僕にすり寄ってきます。
(弟に言わせると「誰にでもそーする」のだそうですが)

ネコにももてたこのない僕は大感激です。
しかも可愛い!顔はキリッとしたイケメンなのですが、おててが真っ白で手袋みたい。
それでいて顔に似合わない、かわいらしくニャア~と鳴き、顔を摺り寄せてくるのです。

この二匹はそれぞれ捨て猫で、子猫の時、それぞれ別の場所で弟が拾ってきました。
そのとき母親として二匹を育てたのが子供がいなくなったばかりのメス猫で、
弟によればその育てたメス猫がしっかりしていたから仲良くなったと言うのですが。

ちなみにヤコブレフ(仮名)は拾われた当時、
顔が皮膚でおおわれて目が明かない状態だったそうで、それで捨てられたのかも。
お医者さんの話で、皮膚を切り離して、もし眼球があれば見えるようになると言われ、
運よく眼球があったので見えるようになったのだとか。
そのせいでヤコブレフ(仮名)はグレゴルーのように顔に傷があり、
涙目のルカのようにいつもグスグスと鼻を鳴らし、涙目です。
僕に顔をこすりつけてくるのも、かゆいからではないかとおもうのですが(笑)。
僕も花粉で4月頃は似たようなものなので、そこも親しみがわきます。


さて、時間はまだまだあるので、近所を散策することにします。
といっても田舎の山。近くにはコンビニはおろか、自販機すらありません。







自販機はありませんが、寂れた神社を見つけました。
まるでこの世界の博麗神社のよう。

思わず脳内に東方風神録のED『麓の神社』が流れます(笑)。
あるいはドラクエ2のほこらの曲かな?



東方のEDは、こーいうさみしい曲をバックに、神主手書きの可愛らしいタッチの絵で、
「みんなでお酒飲んでわっはっは」とかで終わるからたまりません。
久しぶりに東方やろうかなあ‥
東方を知ったおかげで長野に自転車で行くなんてバカも出来た訳だし‥

ちなみにこの神社、うちのパパなんて気にもしてないだろうと思ってたら、
ちゃんと知っていて、今の家建てるときもちゃんとここにお伺いを立てたそうで。




そしてその近くには寂れたバス停が。
一日に2本ぐらいしか来ないようです。
そうそう、諏方湖近くの山の上のキャンプ場もそうだったわ(笑)。




そして実は余市には空港が出来たみたいです。
空港といっても農作業に使う飛行機用ですけどね。
全然使われている様子が見えないので撤回されたのかなと思ったら
僕が知らないだけでちゃんと使われているようです。


という訳で、僕が付近を散策して良い時間になったので、
弟とも合流し、千歳空港に向かって家族一同出発です。

途中、晩飯をどうするかでもめましたが、僕が小樽のなるとを希望し、
そこの名物・若鳥を食べることになりました。



知っている人は知っている、「なると」の若鳥定食です。
これを完食できたとき、「俺も大人になったなあ」と思ったものです。
それぐらい、家族で小樽に行くときは決まってここで食事をしたものです。

ところが、昔はその音頭を取っていたパパが、今回はどっかへ行ってしまいました。
「ちょっとそこらで時間潰してるわ」と言い残して‥
何もよそ行かなくても、店内で軽いもの食べて待ってりゃいいのに(笑)。

昔は家族で小樽で買い物したあと「仲良く一家団欒」に耐えられなくなった僕が
「なると」から出て近くの本屋で時間を潰していたものでしたが、
まるでそれを今のパパがやっているかのよう(笑)。
僕は逆にママや弟と思い出話に花を咲かせています。




若鳥は一応発送もやってますが、送料はクソ高いです(笑)。
でも払う価値はあるので、そのうちアーニャの分と二人分頼もうかな‥


パパ抜きの一家団欒を終え、店から出たものの寒くて仕方がありません。
そう、運転手が車ごと消えてしまったからです
缶コーヒーで寒さをしのいでいると、我が家の困ったちゃん(二代目)が現れました。
盆栽しか趣味がないのに、どこで時間を潰していたものやら‥
僕も昔は他の家族から「アイツはどこ行ったんだ‥」と思われていたのかな‥

みんな(パパの扱いを知っているので)文句も言わず車に乗り込み、
車内でパパ抜きの一家団欒の続きです。
小樽から千歳に向かう間、UFOからかぐや姫、地球外生命体の有無、南米の「世界で一番貧しい大統領」と、話はとりとめもなく続きます。
その間、パパだけ無言(笑)。

空港に着き、まだ時間があったのでどこかで時間を潰そうということになりましたが
店はほとんど閉まっています。
ローソンだけ空いていたので、そこのコンビニコーヒーお茶を濁すことにします。
ママがお金を払い、弟がコーヒーを入れ、僕がベンチまで運ぶ‥家族リレーです。
パパは‥消えたりいたり‥点滅状態(笑)。
なんなの?
パパの実在は不確定性原理なの?ハイゼンベルグなの?
シュレディンガーのパパなの?!

コンビニコーヒーをすすりながらパパのいないことをいいことに、
色々な話が聞けました。
うちの山の畑でサクランボやプルーンが採れるんですが、それが美味しいので
弟の雑貨屋で置いてみたところ、ものすごい人気だというのです。
それも、嫁さんが工夫して見栄えのいい並べ方やラベルを工夫しているとのこと。
写真を見せてもらいましたが、オシャレな絵ハガキのようなオシャレな陳列でした。
なんでも嫁さんは昔喫茶店で働いていて、そういう工夫が得意なのだとか。

で、そういう「オシャレフルーツ」の生産元がムスッとしているパパな訳ですよ(笑)。
いくらコスモやカーシャが機転効かせてバッフ=クランと戦っても、
肝心のイデオンが自由に動かないんじゃ安定しないじゃないですか(笑)。
そこへイデ‥ならぬパパを上手に操るルウ‥ならぬ嫁さんですよ。
嫁さんが上手~くパパを手の上で転がして美味しいフルーツを安定して量産させ、
夜は徹夜して嫁さんがラベル貼ったり箱詰めしたり‥
でもそれが楽しいんです、って嫁さんが晩餐の時、僕に言ってました。


そんな話をしていると飛行機の時間になりました。
出発カウンターに向かう前に、家族の面々にお別れの挨拶。
さすがにパパも亜空間からデスアウトして姿を現します(本当、今までどこに‥?)。
そして「体に気をつけて、しっかりやれ」みたいな一言。
それ言うためだけに4時間ぐらい余市から千歳までガマンしていたのかと。
でも僕も「あんたもな」みたいなことを返し、ママと弟にもサヨナラです。

そして僕はフルシチョフの本を取り出し、機上の人となりました。
羽田に着いて、自転車を探し当てるまでかなり道に迷いましたが‥その間、
僕は、不思議な感情を味わっていました。

「(キリコ風に)‥一方俺は驚いていた。
自分がこれほどまでに願った事はあるだろうか?

もっと生きたい、そしてまた会いたい、と……」