ブラキストン線をジープで超えて西比利亜へ

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放蕩息子の帰省(上)

新年、明けましておめでとうございます(笑)。

こちらは相変わらず惑星グンマーでフォーク乗りの日々です。

さて前回、『正月休みはBMP2』とか言ってましたが、
帰省から帰ってからは風邪でずっと寝てました‥。
なぜだか帰省すると体調崩しません?
まあそれも無理からぬこと。
僕の実家は北海道の余市町。久しぶりの雪で体調を崩したのかも。





さて、僕は今まで家族と顔を合わせることを避けてきました。

弟が結婚して子供が二人いることは知っていましたが、
勝手にしてくれと。俺は俺で勝手にやると。
一人で勝ってにやって一人で勝手に死ぬと。
だって僕が今やってるこの活動(?)とか、説明するのめんどいし(笑)。

そんな感じでここ数年、弟や親とも連絡を取っていませんでした。
でも2年前の冬、過労死を覚悟したので(笑)なんとなく母親に電話したら、
母親も当時ヘルパーとして勤めていた老人ホームがヘルパー不足で過労死寸前で
(自分も老人なのにね(笑))電話口で二人で笑い合ったものでした。

それでわだかまりが多少消えたところに、今回の転職です。
実はうちの父親はスバリストでして(笑)。
前にやたらスバルのエンジンを誉めていたものでした。

今回、期間工になるにあたってスバルに決めたのはそれも理由のひとつでした。
そしたら面接の当日、面接官に
「今ここで実家に電話をかけてくれ」
と言われたのです。

身元を確認するためのものらしいのですが、断るわけにもいかず、
渋々実家に電話をかけ、父親と10年ぶりぐらいに話しました。
今、面接に来てるんだよ。あんたの好きなスバルに(笑)、みたいな。
そしたらその時、正月に帰って来い、と言われたのです‥面接中に(笑)。

でも結論から言うと、今回の帰省は楽しいものになりました。
小学生の姪っ子、甥っ子とも親しくなり、
甥っ子がスター・ウォーズにハマっていると聞き、
こっちに帰ってからバンダイのファルコン号を塗装して送りました。







そしたらこんな画像が届きました(笑)。

今回の帰省でどのようなことがあったのか?
僕の故郷・余市町はどんなところなのか?

最近はPCやネット環境ともご無沙汰な日々ですが、
近々動画を再開するときのリハビリを兼ねて記事にしたいと思います‥。



まず、先ほども書いた通り今回の帰省旅行は急に決まったものでした。
飛行機代は振り込んでもらいましたが、
12月に申し込んだので(安い)席が無く、
取れた(安い)席は12月31日の昼の便!
しかも帰りは1月2日の深夜0時羽田着!

滞在期間が短いのは良いのですが、これでは帰りの足が無い!
ビジネスホテル?
漫画喫茶?
数時間かけて歩く?
これ以降の便だと料金が跳ね上がるのです‥

ですが僕には自転車(クロスバイク)があります。
行きに自転車を使い、空港内に泊めておけば帰りの足になる!
ちょっとした深夜の都内自転車旅行(※強制)ってな訳です。

選択の余地はありません。
15時に羽田発なので、江戸川区からだと4時間と考え、
31日の11時に家を出ることにしました。

さて当日。
昼頃に築地の前を通ったのですが‥




物凄い人の数!

この画像では少ないですが、交差点とかでは撮影は無理!
人気のないところでようやく撮影出来たのです‥

さすが築地、観光客が多いんだな‥と思いましたが今日は大晦日(笑)。
よりもよって一年で一番人が多い日だったのです‥




なんとか築地を抜けて浜離宮に到達。
竹芝のすき家にて昼食です。





んで、それから2時間後‥
品川周辺の倉庫街やら湾岸線やらを抜け、なんとか羽田空港に到着。
とりあえず国際線ロビーそばの、みんなが停めてるとこ(笑)に停めます。

国内線乗り場まではまだ遠いのですが、道がよくわからない‥
とにかく羽田空港は広いのです。
9月に網走に自転車持ち込んだ時は、国内線乗り場まで走って
ポリスメンに追っかけられたので(笑)今回は自重します。

この後、運よく無料バスを見つけ、
難なく国内線乗り場まで行くことが出来ました。




しかし当たり前ですが人人人!
まるでダイ・ハード2』の序盤のようです(笑)。
世の中には大晦日に飛行機に乗るカワイソーな人がこんなにいるのね!




時間にルーズな僕はいつも空港では時間の余裕がないのですが、
41年生きてきて初めて1時間以上の余裕が出来ました。

ヒマにかこつけて「空弁」なるシューマイ弁当を買ってみましたが、
これが1000円近くする上に冷たくて美味くない!
コンビニ弁当を1000円出して冷たいまま食べてる気分でした。
コンビニ弁当を1000円出して冷たいまま食べたい人にお勧めです。

駄弁を食べた後はフルシチョフの本なんか読んでました。




フルシチョフが若い頃、鉱山で働いていた‥あたりまで読んだとき、
空港に放送が流れました。
曰く、次の千歳行きの便(ミコヤンが乗るや~つ)の席が足りなくなったので、
1万円でその次の便に移ってくれませんか?という内容でした。

まあ急ぎではないので、1時間ほど遅れて一万円もらえるならいいか、と、
しばらく考えたあとパパママに電話しようと立ち上がったところ、
「ご協力ありがとうございましたー」とのアナウンス(笑)。
なんだよ‥ちょっと損したよーな気もします。


そして、無事、飛行機に乗ることが出来ました。
本の中で、フルシチョフスターリンの奥さん・ナジェージダに最後に会った日を
思い出したあたりで千歳到着です。
妙に寒い空港の到着ロビーで、トイレに立った途端、パパから電話です。
到着した人々の中に僕が居なかったので不安に思ったようです。
それはわかるけど間の悪い‥。

そして親子の感動の(笑)再会です




たどたどしく言葉を交わしたのち‥パパはトイレに行きました。

行っとけ!オレが行ってる間に‥!
本当に間の悪い‥相性が悪い家族です。

両親はしきりに久しぶりの北海道で冬に馴れていないことを気にします。
駐車場に向かう時も、凍っているから気をつけろ、と。

ちなみにミコヤン、防寒靴を持っていなかったので、
前の職場で使っていたブーツ型の安全靴を履いていきました。
そしたら鉄板が入っていて、センサーに反応しやんの!
でもそんな話をすることで、場を和ませることが出来ました。

車に向かう途中、ママが「パパの車、カッコいいんだよ~」と自慢します。
いやいや、言うても言うても‥
田舎のドロップアウトしたじじいの車なんてたかが知れています。
アメリカの田舎のおっさんがのるようなごつくてでかいSUVならまだしも‥
と思ったら、
アメリカの田舎のおっさんがのるようなごつくてでかいSUVなんですよ!
不覚にも、すげえ!カッコイイ!を連発してしまいました(中古のボロですが)。

で、千歳から余市へ向かう車内で、まず車の話からスタートです。
僕はごついアメ車が好きなのでチェロキースポーツがいい、
と言ったらじじいが鼻で笑うんですよ!燃費が悪いだのすぐ壊れるだの!
「ホント、日本車が一番いい‥
わかっとるわ!男のロマンだろうが!

で、車が欲しいけど金がな‥と言ったら仕事の話ですよ。
定番の「生活できてるのか?」的な。
で、辞めた倉庫の仕事、退職金は?とか言うんですよ。
んなもんあるか!と答えたら、40年公務員を勤め上げたパパは絶句(笑)。
だってオレが入るような会社だぞ?

で、安定した仕事に就け、
いやだ、正社員なんて苦労ばかりだ、
でも生活できなきゃ意味ないだろ、
いや、正社員なんてなったら殺される、
そんな人生送るぐらいならフリーターの方がマシ、みたいな。

で、それからなぜだか洋楽の話になりまして(笑)。
24年前、入学のために上京した際、有楽町駅前のCD屋で
初めてママにねだって買ってもらったCDがKISSのベストアルバムで、
それが俺の洋楽デビューだった、みたいな。
あ、卒業の時だったかな?!



なぜKISSに興味を持ったのかというと、この頃聴いていたオーケンのラジオ
大槻ケンヂとタマゴのキミっ』で、KISSのトリビュートアルバムに
筋肉少女帯が参加した時のことをオーケンが話していたからなんですよ。



そしたらパパがお前、洋楽なんか聴くのか?と。今さら‥
そしたら
「パパはビートルズとジミ=ヘンドリクス聴いてたな‥」

え?!初耳なんだけど!

昔、ばーちゃんの家にステレオとレコードがあったことは知ってましたが、
その中にそれらのレコードがあったのかもしれません。

うちらは42年親子やってましたが、
この時初めて互いに洋楽を聴いていたことを知ったのです!
なんと仲の悪い、会話のない親子だったのでしょう(笑)。


途中、カニぐらい用意してあるんだろうな、と言ったら、
んなもんあるか!とのこと。
だって北海道なんだぜ?!

そしたら小樽に寄ってもらえたのですが、悉く店が閉まっているのです。
まだ20時ぐらいなのに‥
ママによれば、田舎の店は年末は早く閉めて家族と過ごすのだとのこと。
観光客は年末に買い物しないし、
地元の人間は御馳走はとっくに買ってあるのだそうで。
なるほど納得‥


そんなこんなで余市の家に着きました。
真っ白なアイヌ犬のマリちゃん(♀)がけたたましく吠えて歓迎です。

ミコヤンはちなみにこの家は初訪問。
僕が高校卒業まで過ごした家は親は手離してしまったのです。

昔からパパが自分の隠れ家的に買った土地・通称「山」に家を建て、
そこに引っ越したという訳です。
(ロシアで言う『ダーチャ』ですね)

家に着くと、ママが「あんたが苦労して石を拾った山だよ」と言います。
そう、中学高校とミコヤン、小遣い稼ぎのために時給300円で
放課後や週末にこの「山」に来ては、畑などの石拾いをしていたのです。
当時はまだ家は出来ていませんでしたが。

おかげでミコヤン、1/100 LEDミラージュのプラモ(当時12800円)や、
自分用の14型テレビ、ビデオデッキを買えたのです。
ちなみにパパはそこまでの金額になったことを知らず、
息子がテレビとビデオ買えたと聞いて驚いていました(笑)。

僕が感慨にふけっていると、ママが懐かしそうに
「あんたがパパに食って掛かったことがあったっけねえ‥」

そう、当時、夕刊配達のバイトを始めた僕は、
配達の時間になってもパパがなかなか迎えに来なかったので、
「人の都合も考えろや!」みたいなことを吐き捨て、
怒って自分の自転車で帰ったことがあったというのです。
あったよーな、なかったよーな。
あ、あったわ。多分(笑)。
そういう遺恨も時が流してしまったようです。




しかし、悔しいがいい家なのです。
いわゆるログハウスみたいな「木の家」でして、巨大な暖炉なんかも。

「いや、いい家ですねえ~」
「木のぬくもりが伝わってくるよね」

どこの御宅訪問番組だよ!みたいな誉め言葉しか出てきません。
それ聴いてパパも「あ、そう?」なんて‥リアクション薄っ!

残念ながら、これが40年間定職を勤め上げた人間の得た報酬なのでしょう。
悔しいですがミコヤンにはこういうものは手に入りそうにありません。

‥まあ別に要らないけどね(笑)。
維持とか大変だろうし。土地から離れられなくなるし。
「男は基本、身一つでいたい」というミコヤンは家は賃貸という考えです。

しかし‥賃貸は誰でも借りられますが、この家は手には入りますまい。
社会的信用、地位も。
そこは残念ですが、認めざるをえません。
ミコヤンは親父を超えられないようです‥。





さて、一夜明けて元旦の朝‥。

北海道新聞の元旦特集や膨大なチラシに目を通した後、
特に予定のないミコヤンは、
なんとなく余市神社まで初詣がてら、散歩しようと思い立ちました。

神社まではこの「山」から10kmあるかないかぐらい。
さすがにちょっと遠いので、パパの提案を受け入れ、
余市駅前まで車で送ってもらいました。
あれだ、柿崎商店のとこだよ(どこだよ!)




駅前のあたりは、子供の頃とはすっかり変わり果て、
なんだか浦島太郎の気分になったところで今回はここまで。

‥つまらない話がまだまだ続きますが、
このブログは僕の日記、アルバム、旅の記録でもありますので、
どうかダラダラ見てやってください。