ブラキストン線をジープで超えて西比利亜へ

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GW帰省‥三菱ジープに揺られて余市町へ(後編)‥あと残念なご報告

ご無沙汰してました‥えー、土木作業員辞めました(笑)。

 

色々ありましたがこの年でゼロから体を作っていくにはやっぱり体力がきつい。

それは甘えだとしても、もうひとつは僕がいつまで経っても仕事を覚えないので先輩方に愛想を尽かされたこと。

 

あと、お盆に余市の実家に帰ったときに母親に「うちに戻って、余市で仕事を探したら?」と言われたことですかね。

母が話してくれた、僕と同じように若い頃に余市を飛び出し、何にもなれずに舞い戻った挙句慣れない仕事で高所から転落して記憶障害を負ってしまった僕の同級生の話も胸に刺さりました。

 

というのは、彼の話はまったく他人事には思えないからです。

実は夜勤明けの時、何回か僕は居眠り運転をしていたんです。一度は中央分離帯の縁石に前輪を擦る音で目が覚めるという危険な状態でした。

それに、慣れない土木の現場で他人に怪我を負わせてしまうかもしれない。

それが怖くなって‥まあ逃げる口実を見つけたと言われればそれまでですが。

 

辞意を伝えたとき、社長からは

「お前が使えないのはわかってる。でも会社は保険に入っているんだから、

お前が一人前になるまで10年でも待つことができるんだ」と言ってくれました。

また、面接の時に僕が

『今まで何のバックボーンもない人生を送ってきたが、北海道で生活していく上で生まれ変わったつもりでこの会社でやりなおしたい』

と伝えていたので、

「また逃げるのか?同じことの繰り返しになるぞ?

その年で、もう後は無いんだぞ」

とまで言ってくれました。

 

でも、社長がいくらいい人でも現場で先輩に愛想尽かされてちゃあね‥。

しかも社長、僕の退職が決まった後でも

「何かあったら気軽に連絡してよ」

「前向いて生きていこうや!」

とまで言ってくれて、僕も『この御恩は必ず返します』と言うつもりが

『ごおん‥』から先が涙声になって言えなくなる始末。

ともあれ良い会社でしたが、もう後戻りはできません。

 

ちょうどスバルから再雇用のメールが届いていたこともあり、

期間工に舞い戻って貯金しようと思って自信満々で面接を受けたらなんと不採用!

年齢でしょうか?

「世の中舐めてる」ってオーラが無意識に出てるんでしょうか?

 

面接では全然そんな素振りもなかったのに思い切って空振っちゃって、もう自分の全てが否定された気になって、8月に辞めてからずっと無気力ニート生活が続いていました。

 

さいわい、札幌で働いている弟や弟の家族、義理の妹の姉弟たちから元気をもらい、

その甲斐あってか9月29日から苫小牧のトヨタの工場で寮生活をスタートすることになりました。

本当は静岡の工場で期間工生活をするつもりでしたが、やっぱり一度北海道に戻ってこれたのだから、また本州に戻るのは…とか思っちゃって。

収入は下がっちゃうんですが、車で弟や両親に会いに行けるならいいかなと。

今は北広島のアパートを引き払う準備に追われる毎日です。

 

北広島での新生活は無残な挫折に終わりました‥北海道から吹き飛ばされるはずが、ギリギリ土俵際の苫小牧で踏みとどまった、って感じですかね(笑)。

 

親からは帰って来いと言われて、僕もそのつもりでいるのですが、まったく貯えがない状態で実家の戻るのは気が引けます。

苫小牧の寮生活でお金を貯めつつ、実家で農作業ができるように勉強するのが今の僕の目標です。

 

さて、ずいぶん時間が経ってしまいましたが‥前回の続きです。

前回は実家のある余市を離れたところまで‥だっけ?

もうすっかり過去の話(前の職場にいた時の話)になってしまったのでさっさと終わらせようと思います。

 

赤井川経由で小樽に向かう途中、毛無峠で謎の車両を発見したところまででした。

 

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冬の間に使われていたのでしょう。まだ現役なんでしょうか?

この旅行は5月のGWの時のものですが、山頂にはまだ雪が大量に残っていました。

 

ちなみにこのルートはむちゃくちゃ遠回り。

普通、余市から小樽へは海沿いの5号線を通れば30分もしないで到着します。

それを今回、通ったことのない道を通ろうと思い、赤井川経由で大回りするわけですから2時間もかかります。

(本当はもっと早く着くと思っていたんですが、気づいた時には引き返すことも出来なくなっていたのです‥)

 

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雪上車と別れてしばらく行くと、毛無峠の展望台に到着。

海に面した小樽を一望のもとに見渡せる絶景で、家族連れなどが景色を楽しんでいました。

 

 

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また、なぜか世界中の都市への距離と方角が刻まれた碑がありました。

 

 

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やがて峠を下り、小樽市街へと入っていきます。

この道を通るのは初めてだったのですが、偶然ミツウマ本社の前を通りました。

ミツウマとは小樽で長靴などを作っている老舗のローカル企業。

子供の頃は知りませんでしたが、実は小樽の会社だったんですね。

ここを訪れた頃は、いつかミツウマの安全靴(高級品)で作業することを夢見ていたものでしたが‥(遠い目)

 

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さて、小樽にわざわざ立ち寄ったのは、若鳥専門店のなるとで昼食をとるためでした。

僕にとってなるとの若鳥は故郷の思い出のソウルフード

でも最近知ったんですが、今ってなるとってあちこちに支店があるんですよね。

通っていた現場の定山渓近くにもあるし、北広島に近い新札幌にも、実家の余市にまであります。ありがたみも何もない(笑)。

 

でも小樽でなるとを食べてはじめて、僕は北海道に帰ってきたという気分になれるのです。

 

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しかし今までは親の車で来ていたのですが、今の僕は自分のジープで来ています。

どういうことかというと、どこに車を止めたらいいかわからない(笑)。

さいわい、近くに年季の入った立体駐車場がありました。

 

うちのパパもここに停めていたのでしょうか(親子に今までそういう会話はありません(笑))。

ちなみにかなり狭い上に天井も低く、僕のジープではギリギリの印象でした。

 

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どうにかジープを停め、なるとへ向かいましたが相変わらずの大行列。

別に急ぎでもないので、どこかで時間を潰そうと思い周囲を見回すと

『運河画廊』なる画廊を発見。

 

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僕は余市出身でありながら、昔から小樽運河のレトロな風景に憧れています。

その在りし日を偲ばせる絵画も購入してみたいが金はありません。

でもこの画廊では絵はがきが売られているらしく、それを代わりに購入することに。

 

画廊を経営していたのは若くして亡くなられた画家の夫人その人でした。

上品な老婦人から絵はがきを選ばせてもらい、それを購入する際、

カウンターに小樽の地元で発行されている小冊子を発見しました。

小樽運河の景色同様、在りし日の小樽を思わせる表紙に購入を決め、夫人に告げたところ、なんと娘さんが編集員だとおっしゃるではありませんか。

 

実は僕も母が余市の小冊子『余市文芸』の編集員で、毎年原稿を書かせてもらっています(まあブログの旅行記の焼き直しだったりしますが(笑))。

偶然、自分の原稿(ジープで足尾銅山に行った時の体験談)の載った余市文芸が余分に手元にあったので、宣伝を兼ねて一冊置いてきました。

おかげで夫人とも話が弾み、偶然の出会いでしたがとても楽しい時間を過ごせました。

ママにメールでこの一件を伝えるとママも「懸け橋になってくれてありがとう」と喜んでくれていました。

 

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行列が減っていたのでなるとに入り、ガラナと若鳥定食を注文します。

料理が運ばれてくる間、さっき購入した絵はがきと小冊子を確認。

(封筒の「ムスカリです」とは、実家にたくさん生えていた花の名前。僕が母に名前を聞いていたもので(笑))

 

とうぜん若鳥定食も美味しくいただきました。

相変わらず店員は無愛想だけど(笑)、まあこれだけ繁盛してりゃ余裕もないわな‥。

 

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なるとで食事を終えてしまえばもう小樽ともお別れです。

名残惜しいですが金も時間もありません。

せめてもの記念に、長崎屋に出来たドンキホーテで帽子を買い、今回の小旅行の土産としました。

コーヒーを買って天井の低い立体駐車場に戻り、ジープを走らせます。

 

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やがてジープは定山渓に向かうルートへ。

見慣れない旧市街を抜け、急なアップダウンを繰り返しつつ、朝里峠へと向かいます。

 

 

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峠道はダムのそばを通り、昔のスロットカーのコースのようにぐねぐね曲がったルートを通っていきます。

他の車の迷惑になるので頑張ってスピードを出していたので、本当になんだかおもちゃのレースを走っているようでした。

 

 

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そして夕方、通いなれた定山渓の230号に出ます。

こうして僕はまた、定山渓の水道工事に通う日々に戻ったのでした‥

‥まあ3か月後に辞めちゃうんだけどね(笑)。

 

ともあれ、逃げ出したとしても人間は生きてこそです。

生きてさえいれば楽しいことが見つかるはず。

楽しいことがあれば生きていけます‥社会人として優秀かどうかは別問題ですが。

でもそんな奴がブログ書いててのほほんと暮らしていて良いのか?

自問自答する日々です。

 

ともあれ、これから苫小牧で始まる新生活でも何か楽しいことをこのブログで紹介できると良いのですが。

個人的には支笏湖に近くなったのが楽しみなんですけどね。

でももう寒くなるからなあ‥。

という訳で、今更ですが中断していたGW旅行記の続きでした。